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2015年10月

それいゆ 3 -チーズ-

今日は朝から思いもかけないところで思いもかけない人に会った。
いつも仕事がひとこごち区切りが付くたびに足を運ぶ小さなバーがあるのだが、そこのマスターによく似た人がバス停に立っている。
夕刻で、店の付近であればそんなに驚くことはないが 今は朝の8時で、しかもここは店から遠く離れた・・・と言うよりは当時私が住んでいた箱崎という倉庫や貿易会社のある場所で、福岡市の中でもかなり辺境地である。
「おはようございます。 マスター・・ですよね」私はおそるおそる声をかける。
「おや お早うございます。 こんな所で奇遇ですね」とマスター
「私の家がこの辺ですから・・・」
「そうでしたか。実は昨晩からこの近くの輸入会社にチーズの買い付けに来てましてね」
・・と嬉しそうにニコニコとしながら話している所を見るときっと何か良い素材が入手できたようなので訪ねてみた。
「楽しそうですけど 何か珍しいチーズでも?」
「はい、それはもう是非ともご紹介致したいものが・・・」と笑顔で答えてくれた。
「それは楽しみだ 早速今晩にでもおじゃましますよ」
「お待ちしております」
・・と話しているうちに私の乗るバスが着いて軽く会釈をして乗り込んだ。

さて仕事も終わり今朝の会話を思い出しつついそいそとその店に向かう。
そこは80年代も後半になろうというのに今だに「トリスバ-」の看板を掲げ、その下に遠慮がちに「それいゆ」と書かれている。
店に入るとコートハンガーに上着を引っ掛け、いつものカウンター席へ。
「いらっしゃいませ」・・・とマスターがいつものようにおしぼりと一杯のジン。
そしていつものようにやおらその一杯を流し込む。
「ん!? これは・・・」いつもと違った飲み口に思わず唸ってしまった。
今までいろんなジンを飲んできたがこの味わいは初めてで重さの中にすっきりとした抜けの良い香りと喉ごしの良さを感じる。
「美味いなぁ でも初めて飲む味です。」
「ですよね、ちょっとした出来心でして・・・」とマスターがカウンターにボトルを並べ始めた。
ブードルス、タンカレイNo.10、ゴードン・オールドトム、そしてポンペイサファイア
「え? まさかそれを?」
「はい 今日はブレンドしてみました。」とマスターが微笑む
「今日は 少々仕掛けがありましてね・・・」 そう言いながら薄く切られた白いチーズを2切れほど銀の小さなトレイに乗せ先ほどのブレンドジンをもう一杯用意してくれた。
「チェシャーチーズです。イギリス産で多少塩みが強いので薄めにスライスしました」
勧められるままに一枚口に運んでみる。
なるほど あまりクセがなく少しの酸味と強めの塩気が嫌味なく口に広がってくる。
後味もしつこくなく滑らかなミルク臭がのこり、そこにこのジンを一口含む。
「うまっ!」思わずながら口から声がこぼれた。
ジンのハーブと絶妙にマッチして爽やかに喉から鼻に抜けていく感じがなんとも心地よい
「いたずらが功を奏したようですね」マスターがカウンターの向こうで微笑む。
「いたずら・・ですか?」と聞くとマスターはニコニコしながら答えてくれた。
「ええ 実は氷は使いませんけど軽くシェイクしてあります。
 それからこれが本当のいたずらですけどね・・・」と言ってシェリーのビンをカウンターに置いた。
「シェイカーにそっとくぐらせてあるんです。」
「なるほど 魔法の正体はフィーノですか」
「はい 今日はフィノよりもチーズと相性の良いマンサニーリャを使ってみました」
「それじゃこれが ラ・ゴヤですか 初めて見ました」と ボトルを手に取った。
「おや そうでしたか では少しなめてみますか?」・・とショットグラスに1/3程注いでくれる
「これが ここにくる楽しみですから」そういいながら香をかいで口に含む。
スッキリとした口当たりの後からほんのりとアーモンドのような残り香が心地よい。
それに「気のせいか少し塩気があるような・・・」
「ラ・ゴヤは海岸の近くだそうですから きっとそのせいでしょうね」とマスター。
そして今度はやや硬そうなチーズを小さなキューブにしてなんともかわいい皿に3つほど転がしてくれた。
「こちらが今日のとっておきです。」
見た目はやや濃い目の黄色でおそらく一番外側であろう部分はさらに乾燥していて白く粉をふいている。
この粉はカビなのか塩なのか・・・と考えながら口の中へと放り込んでみた。
「しょっぱ!・・塩か、この味はヤギ? いや羊か・・・」と思わず呟く。
「少し酸味があって 乾燥して・この後味・・あっ!」その瞬間 かなり昔の記憶が駆け上ってきた。
「ベドウィンのテントの上で干してたやつだ」
「やはりこれでしたか」マスターがニコリとする。
「うわぁ 懐かしい よくこんなのあつかってましたねぇ」
「はい 以前このチーズのお話を伺ったときから 私も一度は食べてみたくて業者さんに探してもらえるようにお願いしてたんですよ」
「すごいですねぇ またこれを食べられるとは思いませんでした、・・でマスターの感想は?」
「お話いただいたダイナミックな作り方からは想像できないくらい繊細な味でした。しかしこの皮がいけない。
適度に発酵した旨味とコリコリとした小気味よい食感が強い岩塩の塩気と仄かな苦味と絶妙に合ってて止まらなくなります。」とマスターは笑いながらなにやらリキュールグラスに注いで私の前に置いた。
「試してみてください。」
私は言われるがままに塩気の強い皮の部分を口に放り込んで味わい、そしてグラスの中身をグッと一気にいった。
「ふぅ 旨い! テキーラか こりゃやられたね」
「やっぱり こう言った塩味にはコイツが合いますね」マスターは嬉しそうに笑いながらいつものターンテーブルにレコードを乗せゆっくりと針を落とした。
「今日はおいでになるとの事でしたのでこんな曲をご用意いたしました。」
流れてきたのは芯の強いドラムに小気味の良いヴィブラフォンの旋律。
奏でているのは「ウォルト・ディッカーソン カルテット」
彼の幻のアルバム「Lawrence Of Arabia:Jazz Impressions」の中の
「That is the Desert」という曲だ。
カウンターの上には晩秋に似つかわしくない暑く乾いた風を感じた。

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それいゆ 2 -クリスマスの夜-

年の瀬も押し迫ったとあるクリスマスの夜。
仲間たちと居酒屋でささやかなパーティを過ごした後 足は何のよどみもなく自然とその方向に向かっていた。
そこは 歩き始めた天神から2kmと少しといったところか、時間にして約30分の行程をいつも徒歩で移動する。
その店は80年代も後半になろうというのに今だに「トリスバ-」の看板を掲げ、その下に遠慮がちに「それいゆ」と書かれている。
ここの常連の椅子を得たきっかけは勤めていた会社の社長の紹介であったが、この店のバーテンダーであるマスターとお互い無類のジン好きというのもあって馬が合い、その会社を辞めた後もずっと通い続けていた。
扉を開けてカウンターに座るとおしぼりと同時にジンの入ったショットグラスが置かれる。
『とりあえずジン』というわけではないが、なんとなくうれしい。
今日も差し出されたリキュールグラスを一気に流し込む。
スッキリと広がる強めのジュニパーベリーの香りと共にやや甘味がかった後味がトムであることを気づかせてくれ 思わず「トムもいいね・・」と呟く。
マスターは口の左側を小さく上げて微笑んだ。
この店はそんなに華やかに飾るわけでもなく、店の入口に小さなリース、それからカウンターにいくつか並ぶ小さなキャンドルがかろうじてクリスマスであることを思い出させてくれた。

「それじゃあアレキサンダーズ シスターを作ってもらおうかな・・」と呟くと間髪入れずマスターが
「だめですよ! あなたにお似合いではありません」と笑った。
そして笑い声がもうひとつ。
椅子ひとつ離れたお隣ですまして飲んでいたOL風の女性
「あはっ ごめんなさいあんまりストレートだったからつい あはは」
「申し訳ございません」とマスターは軽く彼女に会釈して続けた
「どうもこの御仁は冗談がお好きなもので・・・」
「たまにはミントもいいなぁと思っただけなのにぃ」・・と私が言うと
「あんな変態的なカクテルを頼まれるような方にはいささかかわいすぎるかと・・」とマスター
「なにか変なお酒たのまれたんですか?」と不思議そうな顔の女性に私が答えた
「ごく普通ですよ・・・ラム、ジン、ウォッカ・・・ジャックダニエル・・かな」
「あらそんなに不思議な飲み物でもなさそうね」と女性の言葉にマスターが
「1つ1つは普通ですがそれを全部混ぜて飲む方は見たことが御座いませんでした」
「いやスペインにいた時、黒人の友人がバルで『こんな酒じゃ酔えねぇからそこらの全部混ぜてもってこい』って言って飲んでたんでどんなものかと思ってね」
「・・・で?」女性は低く頬杖をついて見上げるように尋ねた
「とてもこの世のものとは」・・と私は首を振った
「じゃなくてぇ ご友人はめでたく酔うことができたのかな?」
「そりゃもう おかげで2m近い酔っ払いを2kmほど引きずって・・・」
  あははははっ! 店中から笑いが飛んできた
狭い店なので丸聞こえだし、常連たちは面白い話には遠慮なく喰いついて来る。
もちろんこの女性もカウンターで前々からよく見かける方だがいままで一人でクールに飲んでる印象もあり 話しかけたことなど一度もなかった。
ひとしきり笑い声が落ち着いたところで彼女がそっと腕時計に目をやりながら私に呟いた。
「そろそろ最後にしようかな・・・なにかおすすめある? 今年最後の一杯」
「へっ??」私は自分を指差しながらちょっと丸い目をして女性を見つめた。
「そっ! いつもマスターと楽しそうにお酒の話してるでしょ? ロマンティックで・・でもすっきりなのがいいな、ねっ 」
「こういったオーダーはマスターがお得意なんだけど・・・」ちらりとマスターに目をやると「我存ぜぬ」といったとぼけ顔。
そこで思案をめぐらし「それじゃあ ニコラシカはいかがですか?」
「どんなカクテルなの?」
「ここのニコラシカはちょっと変わっててショットグラスにブランデーと・・・後はお楽しみ」
「じゃあ マスターそれお願い」と彼女が微笑む
「かしこまりました」そう言うとマスターは彼女の前にコースターを準備しショットグラスを置いた。
「それじゃ今年最後の一杯は当店からのクリスマスプレゼントです」とヘネシーのXOをふちまで注ぎ、その上にスライスしたレモンをポンとかぶせて更にその上にスプーンでグラニュー糖の小山を盛った。
「あらまぁ すごくかわいいけどどうやって飲めばいいのかしら・・・」
「それでは小さなショーの始まりです」私はカウンターに置いてあった小さなキャンドルをそのグラスに近づけた。
そっと引きつけられるように彼女は明るくなったグラスの中を見つめる。
ひとつ、またひとつとレモンの隙間からグラニュー糖がグラスの中にゆっくりと舞い降り、底に少しずつ降り積もっていく様を無言で眺めていた。
「一年の終わりにレモンの上の雪景色とグラスに舞い降りる砂時計なんていかがですか?」
「素敵ね ありがとう・・・とってもロマンティック」
「それじゃあ 後はスッキリをマスターから」・・と私はマスターの方に手を差し出した。
「飲み方悩むでしょ? 難しく考えなくていいんですよ レモンを指でつまんでお砂糖と一緒に パクッて一口でやっちゃってください。」
彼女は言われるままにレモンで砂糖を挟んでパクッと口に放り込んだ
「ンっっっ!」 すっぱさが広がっているのがとてもよくわかる表情だ。
「そこにブランデーを一気に流し込むんです」・・とマスター。
彼女はショットグラスを持ってすばやく口元に運び、あごと首を一直線にしてブランデーを流し込んだ。
「きゃあ! ほんっと すっきり! もう最高の一年って感じ! それじゃ 良いお年を!」
飲み終わるとすぐに彼女はみんなに手を振って笑顔を残し店を出た。
扉が閉じる音が響き凍りついたような沈黙が残る。

「それじゃ 良いお年を! ・・・・そう一言叫ぶと 彼女はお客全員の視線を集めたまま扉を開けて颯爽と帰っていきました。 おしまい」

私の言葉にみんなは笑いと動きを取り戻した。

「ねぇマスター 差し支えなければ何してる人?」
「女医さんです」
「すごい迫力だねぇ 外科かな?」
「さてそこまでは存じ上げません。」
マスターはそういいながらフランク・シナトラのLPに針を落とした。
流れてきたのは「ホワイトクリスマス」
レコード盤に刻まれた心地よいノイズとともにシナトラの甘い歌声が店に広がる。
そしてマスターはショットグラスを2つ器用に指に挟んでタンカレイのジンとワイルドターキーを同量ずつ注ぎひとつを私に差し出した。
「メリークリスマス!」
囁くような乾杯の音がチンっと響きクリスマスの夜は更けて行く。

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